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平成10年(1998)
| 9月 |
百舌鳥西之町の旧太鼓台を譲り受ける。大井利三氏、大井利久氏ほか数名の有志で受け取りに赴く。 |
| 10月 |
かつて大町・甲斐町の西地区に存在し、解散以後70年間眠っていた講組織「大甲濱」の名称を蘇らせ、布団太鼓の奉賛会発足に向けてのアピールとして、太鼓台を組立てて近所の方々に披露する。70年間布団太鼓が絶えてなかった地区に、太鼓の音が鳴り響く。堺ケーブルテレビの取材を受ける。
この時点では、まだ装飾の雰囲気は百舌鳥西之町のままで、棒も長く金綱の胴巻も十文字ではなく普通に結んでいた。兜の額も存在しない。 |
平成11年(1999)
| 2月 |
町内会や講組織ではない、会員制の団体として、第一回目の定例会を開催する。 |
| 3月 |
地元開口神社へ布団太鼓を奉納する団体で構成される「大寺太鼓会(現開口神社太鼓会)」の寄り合い(芦原会館)へ出席(大井利三氏、大井利久氏、藤本隆文氏、藤原秀憲氏、寺下守氏の五名)。協議の末、大寺太鼓会四台目の新しい布団太鼓として、開口神社八朔祭への参加を承認される。
初代会長は大井利三氏。ほか副会長・幹事数名を選出。会本部及び太鼓保管庫は会長自宅。
祭衣装の顔ともいうべき法被の意匠案を決める。背中には向かって左上(右より左が格が上とされるので)に開口神社の「三つ茄子紋」を、右下に地元甲斐町の町紋である「神功皇后ゆかりの兜」を配し(ちなみに大町の町紋は大の文字一字)、真ん中へ江戸勘亭流文字で大甲濱と入れた。左腕の袖のみに模様を入れ、裾には古代中国文字である「篆書(てんしょ)」を用いて大甲濱の連続模様とした。大甲濱のイメージカラーは海老茶色に決定。海老茶は江戸時代の名歌舞伎役者・市川海老蔵も好んで用いたと言われる赤っぽい茶色である。当時堺でこういう色を用いる地区がなかったのも理由のひとつ。
幟、太鼓叩き衣装その他必要な道具・衣装類を新調。太鼓叩きの手甲脚半や結びのカバーなどは、お母さん方の手縫いによる。カクシ額には、他にあまり例を見ない刺繍による兜模様を採用。
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| 5月 |
開口神社にて緊張の入魂式。他町の方々にもお越しいただき、事実上「大甲濱太鼓保存会」が活動開始。堺ケーブルテレビの取材を受ける。
会員・ご近所向けの太鼓の情報冊子「大甲濱通信(通称ハマツー)」を発刊。以後約2年間、毎月発行を続ける。 |
| 7月 |
布団太鼓を担いだことのない素人が多かったため、炎天下の中「猛暑の練習会」を実施。
暑さと疲労で脱落者続出となる。
この頃から「人数が少なくても遠くても担ぐ時は担ぐ!」大甲濱のスパルタ的な空気があらわれはじめる。練習会は以後恒例となり数年続く。 |
| 9月 |
大甲濱布団太鼓として約70年ぶりの復興を果たし、開口神社への宮入をする。太鼓小屋は本殿向かって右側へ設置。堺市立第一幼稚園園児曳行を実施(以後毎年)。祭礼終了時のラクサクは会長宅の屋上にて宴会。カラオケもかくし芸もないシンプルな飲み会だったが、新しく動きだした布団太鼓と新たに知りあった仲間達と酌み交わす酒の味は格別であった。 |
平成12年(2000)
| 7月 |
「猛暑の練習会」実施。復興年に、揺れた大房があたって折れた為、兜の額を銀色の金属プレート製に補強。結びをウレタン製の大型のもの(通称ビッグトンボ)へ変更。賛否両論を巻き起こす。 |
| 9月 |
2回目の八朔祭への参加。赤いラシャの勾欄がけをつける。太鼓叩きが頭巾を着用。石津川向布団太鼓より、旧東大甲布団太鼓使用の柱用金具を譲り受ける。
ラクサクは近所のカラオケ店を貸し切り。 |
| 10月 |
堺まつり前夜祭と大パレードに、会員数名が大南戸川と芦原濱へ担ぎ手として参加する。 |
平成13年(2001)
| 6月 |
堺まつり布団太鼓連合保存会に加盟。
御披露目会を開催。 |
| 7月 |
祭礼を運営する実行委員会を発足。初代実行委員長に藤本隆文氏。各担当係に「○○方」という名称を設定(例/道具方、大入方・・)。
「猛暑の練習会」実施。太鼓のテンポを早めたり、遅くしたり、房の長さを変えてみたり・・・毎年のように、担ぎ手の歩く速度、太鼓叩きのテンポをいじくりまくる。どうやったら少しでもラクに担げるのか?炎天下での試行錯誤が続く。 |
| 8月 |
堺まつりへの大甲濱布団太鼓の参加を承認される。 |
| 9月 |
3回目の八朔祭への参加。横断幕を新調。
ラクサクは近くのサンプラザの宴会場。 |
| 10月 |
堺まつり初出場を果たす。パレードでは、はじめての長丁場に担ぎ手はフラフラ、ただ持ち上げて平行移動しているだけの状態・・。 |
| 11月 |
二代目会長に大井利久氏就任。
副会長を一名から三名に増やす。二代目実行委員長に寺下守氏(以後2年5ヶ月)。 |
平成14年(2002)
| 3月 |
三代目会長に原野慶三氏就任。
残った役員十名の合議制による会へ組織改編。祭礼本部もないまま新生大甲濱としてゼロからの再出発。
保存会発足以来最大のピンチを十名の役員と会員が団結し、乗り越えていった。
太鼓格納庫を美原区の寺下速配倉庫に移転。祭礼本部を甲斐町公園へ定める。有志による組織から地域密着性を深めた活動へシフト。 |
| 4月 |
健全な青少年の育成を理想に大甲濱青年団が発足(団員は中学生〜29歳まで)、初代団長に新谷公次氏。襟の色は黒。町内に吊るす祭礼提灯を製作。 |
| 7月 |
「猛暑の練習会」実施。いない棒(かき棒)を堺の標準的な長いものに新調。マクラに高低差をつけて担ぎやすさを実験。 |
| 9月 |
堺市立第一幼稚園年長園児の園外教育として、大甲濱布団太鼓の見学(以後毎年)。4回目の八朔祭への参加。本部公園での御婦人連による八朔祭時の賄い(食事係)を開始。お母さん方の作る愛情こもったカレー、牛丼、おでんなどは祭礼時の定番メニューとなり定着。
ビッグトンボなど太鼓の飾り装飾を復興初年度のノーマルな雰囲気に戻す。布団正面に付ける大甲濱の金属文字板を新調。本部公園に太鼓小屋を設営し八朔祭一週間前から展示公開する(以後毎年)。
ラクサクは近くのサンプラザの宴会場。 |
| 10月 |
2回目の堺まつりへの参加。
パレード終了後、豪雨の中の解体片付けとなる。 |
平成15年(2003)
| 7月 |
「猛暑の練習会」実施。
堺市より甲斐町公園清掃担当に任命される。
太鼓叩きの担ぎ歌の歌詞を一部変更、大甲濱オリジナルヴァージョンが完成。
大甲濱Tシャツを製作。
青年団Tシャツ製作。 |
| 9月 |
5回目の八朔祭への参加。
棒を締めるロープを紺色に変更。
地域の子供達の為に、「地域子供曳行」を実施(以後毎年)。
ラクサクはリーガロイヤル地下の藤よし。 |
| 10月 |
3回目の堺まつりへの参加。堺まつり仕様の長めの担い棒を新調。 |
| 11月 |
太鼓本体格納庫を東大阪・みゆき倉庫へ移転。その他装飾・棒関係備品一式を役員の東彰吾氏本宅倉庫(綾之町)へ移転。 |
平成16年(2004)
| 4月 |
会の定例会開催用に地元・市小学校敷地内の「いこいの森会館」を定期的に借りはじめる。
世話人会を発足。
三代目実行委員長に知識時文氏(以後3年)。 |
| 7月 |
「猛暑の練習会」実施。
太鼓本体を使用せず、担い棒と灯油用ポリタンクで製作した太鼓担ぎ練習マシーン「石山君」を使用する。 |
| 9月 |
公園に飾り付けた太鼓に震度4の地震が2回襲う。数日後には台風の猛威にさらされ、会員総出で夜中まで台風の養生、太鼓はグルグル巻きに。幸い太鼓も設営物も無事。祭礼提灯が三つほど破損。6回目の八朔祭への参加。五段の布団と布団ラシャを新調、ひとまわり大きくなる。銀色の金属製額を黒色に変更。額の取り付け方法を変更。大甲濱革製ストラップを製作販売。
ラクサクはリーガロイヤル地下の藤よし。
太鼓格納庫を甲斐町西・阪南倉庫へ移転。 |
| 10月 |
4回目の堺まつりへの参加。堺まつりふとん太鼓連合保存会を代表し、市民会館大ホールにおける前夜祭にて、太鼓叩きと子供太鼓の演出を披露。 |
平成17年(2005)
| 4月 |
四代目会長に小松路之氏就任。二代目青年団長に藤本知宏氏。作業用に中古フォークリフトを購入。 |
| 9月 |
7回目の八朔祭への参加。八朔祭年番長を副会長の藤本隆文氏が務める。
小屋用の大幟を新調。小屋用後幕を新調。
大甲濱うちわを製作販売。
乾燥した台棒を地元の市小学校のご厚意でシーズンの終わったプールに浸ける。
太鼓本体が古い為、大事をとって、今後屋根に乗る人数を2名までに制限する。
ラクサクは八朔翌週にホテルサンルート宴会場。 |
| 10月 |
5回目の堺まつりへの参加。
豪雨の前夜祭、大パレードでは快晴の下、一番で出発。 |
平成18年(2006)
| 3月 |
世話人会を解散。新たに会に協力する有志の会「兜志会(こうしかい)」として再出発。 |
| 4月 |
堺まつりふとん太鼓連合保存会の代表として、リーガロイヤルホテルでの太鼓台の展示(ダイベア70周年記念式典)。 |
| 9月 |
8回目の八朔祭への参加。
宮入の小屋入れ時の企画演出としてスモークを初使用。
ラクサクは、八朔当日にホテルサンルート宴会場。
八朔祭から堺まつりまでの約一ヶ月間、戎島の武田倉庫をご厚意により借りる。
太鼓本体を保管。大いに助かる。 |
| 10月 |
6回目の堺まつりへの参加。
前夜祭一番目の担ぎ出しの目玉として、ベラしながらの回転にチャレンジ。
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平成19年(2007)
| 8月 |
本部として利用させていただいている堺市甲斐町公園の大改修開園式典にて太鼓叩きの実演と伊勢音頭を披露する。 |
| 9月 |
9回目の八朔祭への参加。
八朔祭から堺まつりまでの約一ヶ月間、大町西の岩田建設倉庫をご厚意により借りる。太鼓本体を保管する。棒組みをはずすことなく置くことができ、大いに助かる。 |
| 10月 |
7回目の堺まつりへの参加。 |
平成20年(2008)
| 4月 |
四代目実行委員長に藤原庸敬氏。 |
| 9月 |
10回目の八朔祭への参加 |
| 10月 |
8回目の堺まつりへの参加 |
リーガロイヤルホテル堺に大甲濱ふとん太鼓登場。
平成18年4月22日リーガロイヤルホテル堺にて行われたダイベア株式会社創立70周年記念式典に堺まつりふとん太鼓連合保存会の代表として出演しました。

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